
実話をもとにした異色の法廷コメディ『犬の裁判』5月30日公開!
カンヌ国際映画祭で「パルム・ドッグ」賞を受賞した話題作『犬の裁判』が、5月30日(金)よりシネスイッチ銀座・UPLINK吉祥寺ほか全国順次公開されます。本作は、犬が被告として裁かれるという前代未聞の法廷劇を描いた異色のコメディ。実際の事件にインスパイアされ、人間と動物の関係や正義の在り方をユーモラスかつ鋭く問いかける作品です。
映画『犬の裁判』とは?
負け裁判ばかりの弁護士アヴリル(レティシア・ドッシュ)は、窮地に立たされながらも次こそは勝訴しようと決意。しかし、彼女に持ち込まれた案件は、「犬の弁護」というありえない裁判だった。被告となるのは、絶望的な状況にある犬・コスモス。アヴリルはこの奇妙な裁判に挑むが、勝ち目はほとんどない。法廷では犬が証言台に立ち、専門家たちが犬の意思を証明しようと奔走する。コミカルでありながらも、動物の権利や社会の不条理に鋭く切り込む本作は、現代社会に一石を投じる異色の法廷ドラマです。
豪華キャスト&スタッフ
本作の監督・主演を務めるのはレティシア・ドッシュ。俳優・ダンサー・作家・演劇監督と多彩な顔を持ち、カンヌ国際映画祭でも注目される実力派。本作が彼女の長編監督デビュー作となります。
キャスト
•レティシア・ドッシュ(アヴリル役)—『ACIDE アシッド』『シンプルな情熱』
•フランソワ・ダミアン(コスモスの飼い主ダリウシュ役)—『エール!』『タンゴ・リブレ 君を想う』
•ジャン=パスカル・ザディ(動物行動学者)—『俺はマンデラになる』『シャーク・ド・フランス』
•アンヌ・ドルヴァル(原告側弁護士)—『Mommy マミー』『あさがくるまえに』
•コディ(犬・コスモス役)—カンヌ映画祭「パルム・ドッグ」賞受賞
•ピエール・ドラドンシャン(裁判官)—『ぼくは君たちを憎まないことにした』『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』
スタッフ
•監督・脚本:レティシア・ドッシュ
•共同脚本:アン=ソフィー・バイリー(『My Everything』)
•撮影:アレクシ・カヴィルシーヌ(『蛇の道』)
•音楽:ダヴィッド・シュタンク(『サマーフィーリング』)
•編集:スザナ・ペドロ(『クレオの夏休み』)、イザベル・ドヴァンク(『ニューヨーク、恋人たちの2日間』)

「動物はモノなのか?」レティシア・ドッシュ監督のメッセージ
本作のテーマのひとつは、「動物をどのように扱うべきか?」という問題。スイスの法律では、犬は「個」ではなく「モノ」として扱われるため、安楽死させる場合でも「破壊する」という表現が使われます。監督はこの点に疑問を投げかけ、「人間と動物との関係を見直すきっかけになれば」と語っています。
また、本作の主人公アヴリルは、自分の声を見つける過程で、犬のコスモスと自身を重ねていきます。「社会の中で居場所を探している」という点で、アヴリルもコスモスも同じ存在なのです。
海外メディアも絶賛
本作は第77回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品され、各国の映画評論家から高い評価を受けました。
CINEEUROPA(ヨーロッパ映画批評)
「戯れに満ちた、愉快で知的なコメディ。ユーモラスでウィットに富んだ不条理な冒険に観客を誘う。」
SCREENDAILY(映画レビューサイト)
「撮影は見事。犬コスモス役のコディは、ウギー(『アーティスト』)以来の最高の犬俳優だ。」
FILMFORIA(映画批評)
「ダークコメディの新境地。笑いながら考えさせられる、痛快な社会風刺。」
映画情報
•原題:LE PROCÈS DU CHIEN
•公開日:2025年5月30日(金)より全国順次公開
•上映劇場:シネスイッチ銀座、UPLINK吉祥寺 ほか
•上映時間:81分
•言語:フランス語(日本語字幕付き)
•配給:オンリー・ハーツ
動物の命と正義をめぐる異色の法廷劇
本作は、ユーモアたっぷりに描かれながらも、動物の権利や社会の矛盾について鋭く切り込んだ作品。コミカルな法廷劇の中に、私たちに投げかけられた大きな問いが隠されています。
ぜひ、スクリーンでその衝撃を体験してください。
●監督・主演:レティシア・ドッシュ
1980 年 9 月 1 日フランス、パリ生まれ。俳優、ダンサー、作家、演劇監督として才能を発揮している実
力派。パリの演劇学校を経て、スイス・ローザンヌの舞台芸術高等教育学校にて学ぶ。
2010 年、フレデリック・メルムー監督“Complices”で長編映画デビュー。2012 年、短編映画“Vilaine fille,
mauvais garcon”に出演し、フランス国内の映画祭で多くの賞を受賞。2017 年には、カンヌ国際映画祭カ
メラ・ドール受賞のレオノール・セライユ監督『若い女』で主人公を演じ、2018 年のリュミエール賞最有望
女優賞を受賞。
主な出演作に、ジュスティーヌ・トリエ監督『ソルフェリーノの戦い』(2012)、ギヨーム・セネズ監督『パパは奮
闘中!』(2014)、マイウェン監督『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』(2014)、クリストフ・オノレ監督
“Les Malheures de Sophie(原題)”(2015)、カトリーヌ・コルシニ監督『美しい季節』(2015)、アントニー・
コルディエ監督『ギャスパール、結婚式へ行く』(2017)など。ダニエル・アービッド監督『シンプルな情熱』
(2020)では主人公のエレーヌ役を好演。最近作は、ジュスト・フィリッポ監督『ACIDE/アシッド』(2023)、
ティエリー・クリファ監督“Les Rois de la Piste”(2024)、アルノー&ジャン=マリー・ラリュー監督“Le
Roman de Jim”(2024)など。
演劇界では馬と共演する舞台『Hâte』が話題を呼び、ラジオではエコロジー番組『Radio Arbres』の制作を
行い、マルチアーティストとしてフランスで現在、最も注目されるひとり。
●レティシア・ドッシュ監督インタビュー
『犬の裁判』以前も、あなたはしばしば人間以外の種に興味を示してました。
あなたの舞台『HATE』(2020)では馬のコラソンと共演し、あなたの番組『Radio Arbres』(2021)では植物
の声を自在に聞き取っていた。他者たちと交わる中で何を見出すのでしょうか?
私は生態系の危機をとても心配しています。そしてそのために文化は何ができるのか模索しています。私
は、この危機が人間の他の種に対する無知と無神経さから来ていると思います。私はこのことを記録し、観
客の興味を喚起し、彼らの先入観に疑問を投げかけたかったのです。私たちが生き残るには、生物たちと
の関係を再構築する必要があるからです。たとえば私たちはしばしば動物をモノとみなします。本作の中で
も、スイスの法律は犬のコスモスを個の存在ではなくモノとして扱います。だから安楽死の場合でも、「殺す」
ではなく「破壊する」という表現を使います。
動物をモノとして扱うからこそ私たちは彼らを食べることができます。私たちの役に立たなければ彼らは無
価値なのです。ほんとうに不思議です。私が女性だからそう思うのかもしれませんが。私はいつも、特定の
型に合わせなければならない、目的を果たさなければならないと感じてきました。だから私はそういったこと
になじめない人たちに惹かれるのだと思います。私の映画にはそんな人が多く登場します。フランソワ・ダミ
アンが演じるコスモスの主人ダリウシュは視覚障がい者で少し社会不適合者です。主人公アヴリルの隣に
住むパンクな少年は虐待を受けています。そしてアナベラ・モレイラ演じるロレーヌは、ポルトガル人の掃除
婦で犬に顔を咬まれた被害者ですが、決まり事を拒否し疵を隠し続けます。
なぜ映画の監督をやろうと思ったのですか?
そもそも私は、映画館の観客として自由で不穏なコメディを見たいだけでした。重要なことを自在に語りな
がら常にトーンを変化させるコメディ。そんなコメディに出演したいと望んでもいましたが、まさか監督するな
んて思いもしませんでした。
予期せぬことは突然起こります。スイス人プロデユーサーのリオネル・バイエルが私の馬の舞台『HATE』を
見に来てくれ、帰り際こう言ったのです。「もしやる気があるなら映画監督をやらないか?」 監督の仕事を
何も知らないのに、私は彼を信じました。数日後、私は犬に関する裁判の話を聞きました。不条理で、不
穏で、たくさんの疑問がわいてくる、これこそ私のコメディだと直感しました。
犬であるコスモスを被告にするほどの不条理な裁判ですが、正義の限界を探ろうとしたのですか?
今私たちはこの映画と似たような状況の中にいます。たとえば森林や河川はどうでしょう。法的には、人々
は森林や河川に代わって苦情を訴えることができるし、森林や河川に被害者という地位を与えることもでき
ますが、被告人にすることはできません。種の平等ということが、イチジクや犬も人間同様に有罪にも無罪
にもなるとしたらばかげています。笑えるのは、犬がモノから人の立場に変化しただけでシュールな世界に
飛び込むことになり、証言台に呼ばれ裁かれることです。
私は裁判所でよく傍聴しますが、証人の話の聞き出し方には感銘を受けます。辛抱強く話を聞き、質問を
して情報を集め、判断を下す前に真実にできるだけ近づこうとします。
私にとって正義は貴重です。たとえ不完全であっても、正義は私たちの指針です。
性急な判断が飛び交う現代において、正義は私を安心させてくれます。
この裁判でも、裁判官は本当に手間をかけてこの犬を理解しようとしています。聖職者やハイテク機器を
導入し、犬と人間とのコミュニケーションを図ろうとしています。ばかげていますが、すばらしいことです。
あなたは、勝つ見込みのない訴訟を担当する弁護士、アヴリルの役を演じます。
このキャラクターをどのようにして考えついたのですか?
この映画は、何よりもまず、ひとりの女性の物語です。アヴリルは、40 歳の女性で、ふたつの時代、古い世
界と#Me Too 世界の狭間で、自分の声を探しています。
声を出さない、声を出せない、低い声、甲高い声、彼女はコスモスのようです。 この犬は、長年の家畜化
が消し去ったオオカミの遠吠えを、精一杯探し出そうとしています。 コスモスは彼女の鏡です。彼を救おう
とすることが、彼女にとっても自分の力と居場所を発見することになるでしょう。
初の長編監督映画にコメディを選んだ理由は?
それは素晴らしい挑戦であり、コメディ以外の方法ならやりたいとは思わなかったでしょう。主題的にも他の
方法はあり得ません。私にとって、笑いは戦いの活力であり、コメディはすべての人にとって崇高な芸術な
のです。観客に楽しい時間を過ごしてもらうのはすばらしいことだと思います、とくに深刻なことを語る場合に
は。
私がピエール・サルヴァドーリ監督の映画や、フィービー・ウォーラー=ブリッジ主演の『Fleabag フリーバッ
グ』シリーズのファンなのは、こうした理由からです。コメディはもっと注目されるべきジャンルです。人生をよ
り生きやすくさせてくれるからです。
この映画は、人間が動物に人間自身を投影しすぎるという過ちを揶揄しています。擬人化について、あな
たはどんな立場をとりますか?
もっとも注意を払ったのは、コスモス役のコディをどう撮影するかということでした。ベートーベンみたいに、
絶妙なタイミングでかわいい顔をして私たちをなごませたり、笑わせたりするコメディ犬にはしたくなかったの
です。 一方、野性的で執拗な、理解不能な動物にもしたくありませんでした。ペットがすてきなのは、半分
は私たちに寄り添ってるけれど、あとの半分は私たちのいない別の場所にいるということです。さらに興味深
いのは、彼らが、私たちの過ち、私たちの愚かさを見る目です。
コディはアクロバティックなサーカス犬です。当初は、彼のために信じられないような振り付けをいくつか考
えていたのですが、ほとんど削除しました。映画の中で彼はサーカス犬ではありません。感動的なのは、彼
がただそこにいるショットなのです。私たちは、彼の内面や感情を捉えようとしました。俳優ならではのショッ
トがあるのです。この犬は、クリスチャン・クラヴィエというよりパトリック・ドヴェールなのです! (笑)
あなたは、裁判に直面した社会が激変するスピードを描いています。
この点にあなたが興味を持ったのはなぜですか?
この映画は実際の出来事にインスパイアされたものです。ある話を耳にしました。噛みつきを繰り返した罪
で起訴された犬の飼い主の裁判が、ついには町全体を巻き込む騒動に発展したという話です。人々は嘆
願書を提出し、非常に深く関わり合い、互いに向き合いました。それはみんなに結婚するときを思い起こさ
せました。考え方に変化が生じると、いわばじんましんのような免疫反応が生じます。不可解なことや混乱
を受け入れがたいと感じるからです。瞬間的にすべてが極端な方向に進み、急速に悪化する可能性のあ
るという事実が私を不安にさせます。今こそ、優しさ、時間、ニュアンス、意見交換やアイデアが必要とされ
ているのです。もしも私たちがみんなでテーブルを囲み考えを巡らせることができたら…。
この犬の裁判は、いくつかの目まいがするような問題を提起しています。例えば、 凶暴な個体は変われる
のか? といったこと。サミュエル・フラー監督の『ホワイト・ドッグ』(1982)という映画では、人種差別主義者
に調教された犬について、同じ疑問が投げかけられています。本作では、暴力がいたるところに見られ、そ
れがどこから始まったのかはっきりしない。犬が先に噛み付いたのか、それとも女性が先に攻撃したのか?
アヴリルが先に男を殴ったのか?それとも先にその男から言葉の暴力を受けたのか?こういったことは、常
に奔走しエスカレートします。
サミュエル・フラーの映画の原作であるロマン・ガリーの小説『白い犬』(1970)からはインスパイアされまし
た。この小説には、 人種差別的な犬をあらゆる手段で矯正しようとする黒人の調教師が登場します。アヴ
リルも同じことをしています。彼女は、女性差別の疑いのある犬を必死になって治そうとするのです。私は
それをおもしろくもあり、哀れにも思いました。コスモスを矯正することで、まるで世界中の女性差別をすべ
て消し去ろうとしているかのようでした。
あなたは、暴力を前にした個人の責任という概念を深く掘り下げています。
とくに、アヴリルと虐待を受けている近所の幼い子供との関係を通して。
この挑戦はあなたにどのような影響を与えましたか?
まず第一に、少年と女性の間に母性的ではない非常に強い関係を作り出すというアイデアがありました。少
年と女性の母性的ではない関係というのは映画ではあまり見られません。アヴリルは友達であると同時に、
この少年にとっての指針にもなります。お互いが命綱なのです。少年ヨアヒムは、自分の人生をコントロール
できないという意味で、被害者です。しかしそれでも彼は強い人間であり、あまり愛想がなく、下品で挑発的
です。彼は自分自身を偽装しています。私は、暴力の被害にあった子供たちをそう見ています。
私は自分の周りで、壁越しに暴力の音を聞いたことがあります。 そんなことが起こると、どうしていいかわか
らなくなります。 何が起こっているのか、私たちの役割は何か、どうすべきかをほんとうに理解するのに時
間がかかります。不穏な状況があります。
裁判のシーンでは、ある種の芝居がかった、そして突飛なキャラクターが登場しますが、どのように取り組
んだのですか?
コンサートの演出のようなものでした。毎日、80 人の観客となる意欲の高いエキストラがいました。俳優たち
もそれを支えていました。登場人物は、大好きなジョン・アーヴィングの『ガープの世界』のような、ちょっと
おとぎ話に出てくるようなキャラクターを望んでいました。 しかし、それは事実ともいえます。というのも、撮
影が行われたスイスに私は 5 年間暮らし、多くのカラフルで特異で個性的な人たちと出会ってましたから。
アンヌ・ドルヴァルが演じる原告側の弁護士は戯画的で、エリック・ゼムールやドナルド・トランプのように、問
題を強引に推し進め、恐怖を煽り、ときに嘲笑する人物です。こうした右翼過激派は私を心底怖がらせま
す。ギャグのようで、実際にはギャグではないという印象…
あらゆるタイプのコメディを、楽器のように共演させる方法を見つけなければなりませんでした。動物行動学
者を演じるジャン=パスカル・ザディは、 フランソワ・ダミアンとは声のトーンが異なります。彼はドリュー・バリ
モアのような、誰もが恋に落ちるような「近所の少年」のような存在です。一方、アヴリルの役を演じた私は、
少ない芝居でみんなをつなぐ共通の赤い糸かつ滑稽である必要がありました。私は、都会的なシーンから
詩的なシーン、おちゃらけたものからシリアスなものへと、一貫性がなくても軽々と見せてくれるルイ・C・K の
パフォーマンスを思い浮かべていました。
映画の赤味あるパステルカラーの世界は、あなたが語った物語を彷彿とさせるように感じますが。
私はコメディはあまり美しいものではないと感じています。喜びをもたらす色彩のタッチを入れたいと思って
いましたが、コントラストや影も必要でした。色彩設計において、裁判所は特別な地位を占めています。より
赤味の色、より柔らかい色です。護られた、手つかずの空間といった感じです。音響もこの方向で作業しま
した。環境音は柔らかく、 街の雑踏の騒音も聞こえません。私は、声を前面に押し出したいと思いました。
ほんとうにすばらしいのは、予想されるコメディをときに崩し、突然感情的な方向に転換する手法です。この
映画では、乗り越えなければならない偏見がたくさんあります。登場人物の中には、ダリウチのように自分の
イメージに囚われている人もいます。彼のような人物は、自分自身を隠していることがよくあります。彼らに
も問題があり、闇があるのです。お気に入りのシーンのひとつは、被害者という役割に縛られていると思わ
れるポルトガル人の清掃員ローリーンがアヴリルに対して激怒する場面です。 観客は彼女が話すのをほと
んど聞いたことがなかったので、彼女にそんなことができるとは思っていませんでした。こうした偽りの先導に
よって、観客は自分自身の矛盾と向き合うことができます。たとえ、自分自身の笑いが不快だったとしても
です。
私は、人を居心地の悪い気分にさせるのが好きだし、下品で、少しショックを与えるのが好き。そうすること
で、私は女性として自由になれる。でも何よりも、だれもが時間をかけて自問自答し、自分の判断にリスク
を負い、ニュアンスを体験する余地を残しておきたい、人々を笑わせながらね。
●海外評
CINEEUROPA Fabien Lemercier
戯れに充ちて、愉快で、知的。
観客の皆さん、シートベルトを締め、ユーモラスでウィットに富んだ不条理ギリギリの冒険に備えよう。
完全に常軌を逸しているそのオフビートな特異性において大傑作。
ブニュエルもこうした風刺的かつ隠喩的な題材を扱っただろうが、レティシア・ドッシュはそこに揺れ動く感
情とバロック的発見に富んだ独自のスタイルを吹き込んでいる。
ほとんど漫画的あるいはチャップリン的な精神と、より深刻な根源的問題との間に存在する非常に滑稽な
映画。
誰もが心ゆくまで解釈できる、ワイルドで饒舌なカクテルだ。
SCREENDAILY Jonathan Romney
ドッシュは紛れもなく自信に満ちて監督している。
撮影のアレクシス・カヴィルヒネは、堂々たるスイスの法廷をうまく使っている。
視覚的に生き生きとした見事な作品。
このよく訓練された雑種犬は、表情の豊かなレパートリーを持っており、ジャンプしたり、シャンソンに合わせ
て遠吠えをしたり、法廷では行儀よく飛び跳ねたりする。
カンヌ映画祭では、『アーティスト』で世界的に高い評価を受けたウギー以来、最も表情豊かな犬の役者の
登場だ。
FILMFORIA Meredith Taylor
フランスのコメディアン、ブランシュ・ガルダン風スタイルで、テンポは速くユーモアは目を疑うほど突飛だ。
痛快なダーク・コメディ。
動物愛護を揶揄する風刺として始まる物語は、やがてストリート・バイオレンス、さりげない女性差別、人種
差別、さらには些細な消費者の関心事といった、より茨の道へと波及していく。
ドッシュには明らかにコメディの才能がある。